桃園橋の歴史

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A5版、66ページ。
価格は税込。発送はクリックポスト(7冊まで198円)。

猫人研究所雑誌 創刊号(2021年8月)。本号は、東京都中野区の桃園橋について、江戸時代に木橋が架けられ、1936(昭和11)年に鋼鉄桁橋に架け替えられ、その85年後に撤去工事に至る歴史を扱う。中野区から提供の写真4枚と東京都下水道局から情報公開の図面その他の写真と図を多数収録。

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説明

猫人研究所雑誌 創刊号(2021年8月)。

 中野通りの拡幅のため、桃園川暗渠に架かる桃園橋(東京都中野区中央4~5丁目)の撤去工事が始まり、2021年6月に橋の親柱と欄干が取り去られた。
 この小冊子は、江戸時代に木橋が架けられ、1936(昭和11)年に鋼鉄桁橋に架け替えられ、その85年後に撤去工事に至る桃園橋の歴史を記録する。

 とくに第2章では、木橋と鋼鉄桁橋の間に11年間ほどコンクリート橋の時期があり、公的文献の橋梁の記録が誤っていることを解き明かす。
 また、昭和初期の桃園橋の活気を伝える写真1枚と、桃園川が清流だった頃の貴重な写真2枚を含む計4枚の写真の提供を中野区から受けたので、解説を加える。
 あわせて中野通りの変遷と、歴代の桃園橋の推移との関係を考察する。
  ——— 本書「はじめに」より

目次
第1章 木橋 (江戸時代–1925頃)	1
 将軍が渡った橋
 花見の名所 桃園の盛衰
 犬駕籠も渡った橋
 桃園橋の名は近代以降
 1916年に木橋として公的記録に登場
第2章 コンクリート橋 (1925頃–1936)	8
 1932年ごろ桃園橋「木橋」?
 1932年ごろ桃園橋「コンクリート橋」?
 古写真と同一撮影場所・アングルの再現
 東京府統計書で木橋かコンクリート橋か検証する
 「木橋」と誤記した原因を町区公式史書で探る
 コンクリート橋へ架け替えは1925年ごろ
 わずか11年ほどで次の橋に架け替え
第3章 最後の桃園橋 (1936–2021)	24
 最後の桃園橋は鋼鉄桁橋
 地図に記された垸工橋の記号
 桃園橋架け替えの時期と歴代の橋の寸法
 1960年代、桃園川暗渠化で橋の機能喪失
 桃園川暗渠化後も残された橋の構造
 撤去工事直前の桃園橋
第4章 桃園橋撤去工事 (2021–)	33
 「中野通り拡幅に伴い」桃園橋撤去
 下水道局開示文書「橋の構造を廃止」
 中野通りの舗装の下に鋼鉄橋桁17本
 2021年6月親柱と欄干を撤去
 都建設局は親柱などの保存検討
第5章 桃園川が川だったころ		41
 昭和初期に桃園川の環境悪化
 桃園川が清流に写っている謎の古写真
 何をいつ撮った写真か
 自動車工場と中野バプテスト教会
 堀江家が撮影した写真かもしれない
 撮影時期は1918–1922年
 撮影場所とアングル
 もう1枚の桃園川写真に木造の桃園橋
 桃園川を渡る神輿
第6章 桃園橋と中野通り、桃園通り	53
 中野の交通増とともに桃園橋は
 人口急増と中野駅移転
 線路ガード下と中野通り掘削
 幅六間の中野通りを南に延ばす
 桃園橋架け替えも撤去も中野通り拡幅のため
 昭和初期の中野通り工事はサンモール発案?
 桃園通り約100年ぶりに駅前商店街に

追加情報

重さ 131.0 g
サイズ 210.00 × 148.00 × 5.35 mm